
フェアトレード&エコショップオゾン" 店長杉本皓子
そうだったらいいのにな
40代の半ばから10年近くアフターファイブと週末を無報酬でNGO活動にあててきた夫が早期退職して友人と新たにNPO法人地域国際活動研究センター"をスタートさせたいと言った。「あんたはフェアトレードの店を同じスペースでやって家賃を折半しょう。」とも言う。私は更年期症状でその数年ブウブウ言っていて、自分でもマイペースでやれる出口がほしかった。こうして2001年10月に生まれたフェアトレード&エコショップオゾン"はまもなく5周年だ。経営規模は年売り上げ600万円弱の極小サイズ。
社長兼一人店長の私の報酬は一般被雇用者のほぼ半分。こんな事実をさらけ出す自分がちょっとコワイ。
願いは、社会はこうあってほしいと思うことをフェアトレード品や情報を通して店内で実現すること。世界経済の荒波とたたかう人権&環境保護のフェアトレード品を通じた人と手作り文化の交流の場とし、さまざまなタイプの来客が気楽に過ごし、じっくり商品と向かい合える環境づくり。そのために店の一番感じがいい場所に机と椅子が2脚。いらっしゃいませとコーヒーや紅茶をお出しする。
2階からオゾン店始まる
*以下フェアトレードをFTとする。

家から歩いて15分の商店街2階12坪の貸店舗。床・壁・天井をエコとゆったりのイメージで改築し、8坪半にリストアップしたFT団体や女性団体からおよそ70万円の買い付け品を並べてオープンを迎えた。毎日毎月無我夢中。
腰痛も店にいる間はひっこんだ。少ない体力ながら、始めたからには漠然とだが10年はやろうとしていたようだ。3年目で赤字から黒字にを目標に。
売り上げが少ないのだから販売管理費をおさえることは必須。看板もチラシも手作りだ。それでも、お客さんを迎える玄関の花は商店街の花屋で求め飾る。私のリフレッシュにも花の香りは最高だ。勉強のための交通費も必要だ。
生産現場に行く余裕がない代わりに、仕入先が海外から生産者のゲストを招いてのセミナーには新幹線代を出す。交通費が出せそうもない時はポケットマネー。いつも元気がもらえた。
開業当時授かったアドバイスは重要だった。ひとつは、FTショップの先輩が「自分がじかに選んだものを売ることよ」もうひとつは「お客さんが来ないときもへこむな」という父親のはな向け。実際よく落ち込む。気を改めて翌月の看板や商品の配置を考え、作業する。工夫できた看板はお客さんを2階に招く。2年目からは毎月の売り上げ・在庫比較などデータをながめ、やりくり上手をめざす。
考えたり調べることが好きだ。多彩なFT品の手仕事の技は魅力の世界。絹のシャムダニ織りのすてきなスカーフは、絹の家庭での洗濯法を勉強するきっかけになった。自分の売る品のメンテナンス法をお客様に伝える必要がある。東京のシルク専門店に買い物をしながら教えを請うた。横浜のシルク博物館にも行った。
蚕も20頭ばかり実際飼って繭にした。サナギを守るシェルターとしての繭。桑を食べた蚕はやがて設計士となり大工さんとなって紫外線をカットしうる家をつくる。自然と繭のつながりは、シルクの手入れ法や活用法のヒント。飼育の一方でインドの繊維産業の本を読む。シルクには家蚕、野蚕、半野蚕があり、繭はアジア、アフリカ、中南米で利用されていたとか。数ヶ月でバングラデシュのシャダニ織は、私を愛知県の養蚕農家が出荷停止になっていることからマダガスカル島の野蚕の布の物語までを知らせてくれた。
こうしてお客様が来た時と来ない時をくりかえし、売り上げは徐々に伸びて低報酬を続けたせいもあり黒字目標達成。2004年にはインドの複数の生産者団体・FT団体を訪問できた。
1階への引越しとこれから
2005年1月大曽根駅に近いビルの1階に「地域国際活動研究センター」と共に引っ越す。旧店舗のスケルトン代と新店舗改造で売り上げには引き合わない出費。が、バギーを押したお母さんが平然と入店してきた時、感嘆。20坪ほどの裏庭に6種の花と綿の種をまき、花は店を飾り、綿は糸にするほど採れた。2階もあり20名は余裕の集会室。
2月には講師をネパリ・バザーロの丑久保完二さんにお願いし、「身近な国際協力フェアトレードコーヒーの味は奥深い」の講座を名古屋市内の2つのFTショップ・NGOと協力して開いた。従来ミニ講座や手作り体験をしてきたが、集会室完備は楽しみだ。5月にはFT・デーイベントに高校生や大学生が集った。
経営状態は引越しで後退しているが、私の体力は回復傾向。オゾンは新たなスペースを得て販売&おしゃべりの場プラス知らない世界を共に感じる場へ試行。もう1つ夢がある。東ティモールの伝統織物「タイス」を日本で商品化すること。東ティモールは2002年に主権回復した小さな国だが、電気もない村々で織り成す色鮮やかで大胆な絣模様には歴史と文化がつまっている。